こんにちは(^^)えたばりゅです。
「いただきます。」は、作り手へのお礼の他に、食事の前の糧となってくれた命への感謝の言葉として知られています。
この「いただきます。」ちょっと面白いことが分かったのでシェアしようと思います。ではでは、今回も最後までお付き合いいただけましたらと思います。
「いただきます。」について
いただきます。ご馳走様でした。こちらは言わずと知れた、日本における食前、食後のあいさつのようなものですよね。こちら、「いただきます。」について今回はスポットを当てていくのですが、頂きますについてちょっと意外なことが分かりました。
その歴史は意外と浅い可能性
「いただきます。」に関しては、よく大河もののドラマや映画でも、食前に当たり前のように言っている場面がありますよね。しかし、この「いただきます。」はその歴史は意外と浅く、最近になって浸透した可能性があるとされているんです。
と申しますのも、1980年代に面白いデータ収集を行った機関がございまして、当初70歳代のご年配の方々を中心に、御年若かりし頃、「いただきます。」と食前に挨拶をしていたかどうかというアンケートを収集。それを分析すると、この「いただきます。」は言われていなかった家庭が驚くほど多いという結果が出たんですね。
当時は特に挨拶を交わさずに食すか、当時は父親が主体という社会が根付いていたので、父親の「では、たべようか。」などの声かけと共に、食事が始まったなどの事実が分かってきました。
ですので、この「いただきます。」が日常的に各家庭で挨拶として使用されるようになったのは、昭和時代に入ってから。ということが分かってきました。そして、その挨拶をする理由として、成長段階における子どもたちのしつけの部分が大きく作用していたとされております。
「いただきます。」の理由とされる説
これには諸説あるようでして、代表的な2つの説をご紹介しようと思います。
1.食事を提供してくれる者への感謝
食事という行為は生きて行くうえでの必須行為。その食事を無事に食べることができるのは、大地に恵みをもたらしてくれる太陽、雨、そして、その恵みを基に食物を生産・提供してくれる百姓、漁師、そしてそれを調理、料理して食せる状態にして提供してくれる、母親、お手伝いさん、料理人。などなど、このような存在に対して、感謝の意を表し、食べるなどの謙譲語、「いただく」を用いるようになったという説があります。
2.糧となってくれた他の命への感謝
人が何かを食す。すなわち、糧にするということは例外なく、他の命をもって提供されております。そういった観点から、自身の生きる糧となり、命を差し出してくれた他の命に感謝の意を込めて、「いただきます。」を挨拶として使用するようになったという説がもう一つ。
などなど、この「いただきます。」においては、ほかにも諸説あり、これが一番有力。というものは現在のところは存在しないようなんです。ただ、1、2の説、どちらにおいても、教育やしつけというものが念頭にありそうというのが分かりますよね。ですので、「いただきます。」が比較的歴史の新しい挨拶であるということは、正しいのかもしれませんね。
思うに・・・
この「食事を提供してくれる者への感謝」あるいは「糧となってくれた他の命への感謝」。
思うにどちらの説も正解ではないかなと思うわけでございます。
やはり、感謝の念は忘れてはならないということはもちろんですが、食事を提供してくれた存在。そして、糧となってくれた存在。どちらに重きを置くということはないかと思います。しっかり感謝をしながら、食を進めたいものですよね。・・・とはいうものの、私はどちらかというと、糧となってくれた他の命への感謝というものに重きを置いていたフシがございますので、これからは食事を提供してくれた存在、そして糧となってくれた存在。どちらに対しても、感謝の意を述べなければと思っている次第でございます。
最後に
いかがだったでしょう。「いただきます。」・・・本当に素晴らしい言葉だと思います。そして、その歴史が意外に浅いというところは意外なところではなかったでしょうか。ほかにも、「ごちそうさま」や「もったいない」などなど、日本には世界にはあまりない独特の表現があり、これは世界に誇ることができるものだと思います。こういった感謝や無駄にしないという精神は本当に大事にしていかないとですね( ^ω^)・・・今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます(^^♪